リコリスと日々
日記用ブログです。ネタバレなどは発売日から解禁中。
好きなものとはぐれること
- 2011/01/21 (Fri)
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確か西尾氏の小説だったと思うのですが、例えば好きだった作家の作品が好きでなく
なってきたりする、そのことを「嫌いになった」ではなく「はぐれてしまった」と表
現している小説がありました。
その表現がすごく好きです。
嫌いってかなりきつい言葉だと思うんですよね。
言い回し変えてはぐらかしてるだけと言われればそれまでかもしれませんが、はぐれるって言うのは一理あると思います。
小説にしたって漫画にしたって何にしても、その作品の作り手が好んで目指した方向と、自分の好みの方向が一致した、それが作品を好きになるってことだと言える気がします。
だから、好きでなくなるっていうのはその方向性がずれてしまったこと。同じ方向に向かっていたものがはぐれてしまったこと。そう考えられるんじゃないかと思うんです。
そんなわけで、最近合わないなあと感じている作品も、はぐれてしまっただけだと思うんですよ。
前に書いたようにSound Horizon(以下サンホラ)の新アルバムを聴いたのですが、色々な方がレビューで「昔と変わった」とコメントしてらっしゃるんです。
確かに変わったなと思いますし、それについて好き嫌いが出るのは何もおかしくないと思います。
でも、昔みたいに戻ってほしいって意見も時々目にして、作品の在り方と受け取り手について何か考えてしまいました。
あ、私はサンホラのCDを聞きますけど、詳しいわけじゃないですし、ライブとか雑誌とかチェックしてないので、公式ページの情報と全部又聞き情報で判断しています。
それで、聞いた話だと、Revo氏は「新しいサンホラについてこれなければそれでいい」といった主旨の発言をされたようですが、個人的にはそれでいいんじゃないかなと思います。
作り手は作りたいから作るのであって、作りたくないものを無理に作るのなら、それはもうただやらされてる作業なんじゃないかと思うんです。
作る行為って、作りたい気持ちがあって行われるべきなんじゃないでしょうか。
ただ、サンホラだってもう同人活動じゃなくてレーベルからCD出してるので、売上とかは関係してくるでしょうし、いつまでも作りたいから自由にやる、ではいけないとは思いますが。
趣味でやってる同人活動ならまだしも、やっぱり商業ともなれば、聞き手の要望や期待に応えることは必要になりますよね。
別に、受け取り手を蔑ろにして自由に好き勝手にやることが正しいとはいいません。
作品は受け取り(サンホラの場合は聞き手)手があって成り立つし、作品を作っても見てくれる人、聞いてくれる人がいるから作ることが楽しくなる。
だから聞き手を意識して作ることも正しいんです。
けど最終的に何を大切にするべきか、と言われたら、私は「作り手の希望」じゃないかと思ってます。
受け取り手のことを考えて、それでもやっぱりこれは作れない、自分の作りたいものじゃない。
そう思うなら、自分がやりたいものを選ぶべきじゃないかなと。
無理して続けても結局は何処かで歪むんですから。
なので、今のサンホラの形がRevo氏のやりたいものなら、それでいいと思うんです。
ただ私たちがはぐれてしまった、ただそれだけなんじゃないでしょうか。
はぐれることは仕方ないし、悪いことじゃないです。
でも、はぐれた責任なんてどこにもないんじゃないでしょうか。
ただ本当に偶然、たまたまなんじゃないですかね。
それを踏まえて、これ以上サンホラにはついていけないやーと思えば止めればいいですし、それでも聴きたいなら聴けばいいと思います。
批評することも、批判することも悪いとは思いませんし、やっぱり好きなものが好きでなくなるのは怖いですから、作り手を批判したくもなると思います。
でも実は作り手だけが、または受け取り手だけが悪いんじゃないのではないか。
それが言いたかったんです。
正直に言えば、私自身も最近のサンホラとははぐれ気味かなあといった感じです。
音楽は基本的に好きなものを聴くので、サンホラというアーティストだから好きというのはないです。
でも好きなものが多かったのでこれまで聴いてました。
stardustとかイベリアとか好きですね。
ロマンも、物語性とか台詞とか結構あったけど、楽曲として楽しめてたし、その辺までは好きなんですが。
ミラ辺りからはぐれたのかなあ。いや、ミラにも好きな曲ありますが、あの辺りから音楽を聴くと言うより本を読むといった印象になってきまして。
物語としては好きですが、音楽としては複雑なところです。
それでもなんだかんだいってメルヒェンまで聴いてるのは、はぐれてきた?と思いつつ、やっぱり好きな部分があるからです。
やっぱり何処かしらに好きな部分はあるので、方向性が変わってきても聴こうかなーと思います。
その何処かにある魅力も見失ったら聴かないだろうけど。
でももしそうなったとしても、サンホラと私とで好きな方向性が違っただけなので、それはそれで仕方ないだろうなと思います。
確かにstardustやイベリア辺りが懐かしくも思うけど、無理に戻って欲しいとは思いません。
もしも戻るのなら、まあ「あ、今回は私が好きな感じのだなあ」って思うくらいだと思います。
という唐突にまじめな話。
なってきたりする、そのことを「嫌いになった」ではなく「はぐれてしまった」と表
現している小説がありました。
その表現がすごく好きです。
嫌いってかなりきつい言葉だと思うんですよね。
言い回し変えてはぐらかしてるだけと言われればそれまでかもしれませんが、はぐれるって言うのは一理あると思います。
小説にしたって漫画にしたって何にしても、その作品の作り手が好んで目指した方向と、自分の好みの方向が一致した、それが作品を好きになるってことだと言える気がします。
だから、好きでなくなるっていうのはその方向性がずれてしまったこと。同じ方向に向かっていたものがはぐれてしまったこと。そう考えられるんじゃないかと思うんです。
そんなわけで、最近合わないなあと感じている作品も、はぐれてしまっただけだと思うんですよ。
前に書いたようにSound Horizon(以下サンホラ)の新アルバムを聴いたのですが、色々な方がレビューで「昔と変わった」とコメントしてらっしゃるんです。
確かに変わったなと思いますし、それについて好き嫌いが出るのは何もおかしくないと思います。
でも、昔みたいに戻ってほしいって意見も時々目にして、作品の在り方と受け取り手について何か考えてしまいました。
あ、私はサンホラのCDを聞きますけど、詳しいわけじゃないですし、ライブとか雑誌とかチェックしてないので、公式ページの情報と全部又聞き情報で判断しています。
それで、聞いた話だと、Revo氏は「新しいサンホラについてこれなければそれでいい」といった主旨の発言をされたようですが、個人的にはそれでいいんじゃないかなと思います。
作り手は作りたいから作るのであって、作りたくないものを無理に作るのなら、それはもうただやらされてる作業なんじゃないかと思うんです。
作る行為って、作りたい気持ちがあって行われるべきなんじゃないでしょうか。
ただ、サンホラだってもう同人活動じゃなくてレーベルからCD出してるので、売上とかは関係してくるでしょうし、いつまでも作りたいから自由にやる、ではいけないとは思いますが。
趣味でやってる同人活動ならまだしも、やっぱり商業ともなれば、聞き手の要望や期待に応えることは必要になりますよね。
別に、受け取り手を蔑ろにして自由に好き勝手にやることが正しいとはいいません。
作品は受け取り(サンホラの場合は聞き手)手があって成り立つし、作品を作っても見てくれる人、聞いてくれる人がいるから作ることが楽しくなる。
だから聞き手を意識して作ることも正しいんです。
けど最終的に何を大切にするべきか、と言われたら、私は「作り手の希望」じゃないかと思ってます。
受け取り手のことを考えて、それでもやっぱりこれは作れない、自分の作りたいものじゃない。
そう思うなら、自分がやりたいものを選ぶべきじゃないかなと。
無理して続けても結局は何処かで歪むんですから。
なので、今のサンホラの形がRevo氏のやりたいものなら、それでいいと思うんです。
ただ私たちがはぐれてしまった、ただそれだけなんじゃないでしょうか。
はぐれることは仕方ないし、悪いことじゃないです。
でも、はぐれた責任なんてどこにもないんじゃないでしょうか。
ただ本当に偶然、たまたまなんじゃないですかね。
それを踏まえて、これ以上サンホラにはついていけないやーと思えば止めればいいですし、それでも聴きたいなら聴けばいいと思います。
批評することも、批判することも悪いとは思いませんし、やっぱり好きなものが好きでなくなるのは怖いですから、作り手を批判したくもなると思います。
でも実は作り手だけが、または受け取り手だけが悪いんじゃないのではないか。
それが言いたかったんです。
正直に言えば、私自身も最近のサンホラとははぐれ気味かなあといった感じです。
音楽は基本的に好きなものを聴くので、サンホラというアーティストだから好きというのはないです。
でも好きなものが多かったのでこれまで聴いてました。
stardustとかイベリアとか好きですね。
ロマンも、物語性とか台詞とか結構あったけど、楽曲として楽しめてたし、その辺までは好きなんですが。
ミラ辺りからはぐれたのかなあ。いや、ミラにも好きな曲ありますが、あの辺りから音楽を聴くと言うより本を読むといった印象になってきまして。
物語としては好きですが、音楽としては複雑なところです。
それでもなんだかんだいってメルヒェンまで聴いてるのは、はぐれてきた?と思いつつ、やっぱり好きな部分があるからです。
やっぱり何処かしらに好きな部分はあるので、方向性が変わってきても聴こうかなーと思います。
その何処かにある魅力も見失ったら聴かないだろうけど。
でももしそうなったとしても、サンホラと私とで好きな方向性が違っただけなので、それはそれで仕方ないだろうなと思います。
確かにstardustやイベリア辺りが懐かしくも思うけど、無理に戻って欲しいとは思いません。
もしも戻るのなら、まあ「あ、今回は私が好きな感じのだなあ」って思うくらいだと思います。
という唐突にまじめな話。
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